ひ と り ご と

うまく言葉にできないけど溢れてくる言葉たちを綴っておきたい

わたし、いま

 

社会人、4年目

いまの仕事を始めて、2年目

 

初めて、じぶんの限界を感じた。

このいまのじぶん、をここに残しておこうとおもう。

 

 

4月の半ば。

 

 

元々、満員電車は苦手だ。

視界にたくさんの頭がならんでいるのがすごく気持ち悪く見えてくる。

普段から満員電車に乗る際、下を向いてなるだけ周りを見ないように工夫して乗っている。

 

その日も、下を向いて乗っていた。

目的の駅までは軽く15分程度。

立って乗り過ごそうと思っていた。

いつも通り音楽を聴きながら下を向き目的の駅まで

静かに待った。

突然、何も悲しいこと等なく、涙が出るような要因は全くなかったのにも関わらず、

勝手に涙が溢れ出てきて、呼吸がいつも以上にはやくなってきた。だいぶ、しんどかったため、途中の駅で降り、トイレへすぐ駆け込んだ。ふいても、ふいても涙は止まらず呼吸がどんどんはやくなってきて、いわゆる過呼吸っぽくなってしまった。落ち着こうと深呼吸を懸命にして、トイレで落ち着くまで時間を過ごすことにした。

 

10分くらい経つと次第に落ち着いてきて、

外に出ることができた。

彼にいま起こった出来事を連絡すると、すぐに準備をして駆けつけてくれた。

そこから彼の提案で、電車はひとまずよくないからと、タクシーで帰宅した。

 

その2日後、仕事へ行くため出勤した。

出勤中の電車でもこの間の出来事と同じように

何度か涙が出てきそうだったが

必死に耐え涙を流すことはなかった。

着替えを終え、開始の時間まで休憩室で待機しようとした。しかし、そこで涙が出始め仕事ができるような状況ではなくなってしまい、そのまま体調が悪いとのことで帰宅させてもらった。

 

まず、この出来事が起こった原因をかんがえる。

 

大きな原因として、考えられるのは

職場の人間関係だとおもう。

わたしは、誰とでもうまく関わることが

できているが周りの人達のギスギスした雰囲気、

誰かの悪口、あからさまなその人に対しての態度の違い、など

1年目も多少は気にはなっていたが、自分の業務で精一杯なこともあり、仕方ないなという気持ちで流していたところがあった。しかし、その仕方ないが1年でどんどん重なったようだった。また、職場では1番下の立場だったため、全てにおいて、

「はい。」

と、なんでも聞いていた。

 

2年目になりすこし余裕が出てきた。

今までのその仕方ないと済ませてたものにも目を向けるようになった。

 

いまの相手の言葉は少し不愉快だったな。

どうしてそんなに強い言い方をするんだろう。

なんでその人に直接言わずに、何人かで悪口を言うのだろうか。

など、周りのよくない、マイナスな雰囲気が

どんどん漂い始めて、その空間がわたしには

とても辛かった。

お互いにギスギスした人たちが同じ日に

勤務だとこちら側にもそのギスギスは伝わってくる。

わたしは、多少なりとも感じ取ることはできる。

そのため、こちら側がそれぞれに気を使い仕事をしていた。

また、よく学生にある

ターゲットのひとをいじめる。

ではないけど、ターゲットにされてる人が

何人かいる。

(その歳にもなって、、とおもいながらも、やはり人と人が存在する限り永遠に消えない問題なのかもしれないと、なんだか残念な気持ちになる。)

 

なぜその人がターゲットされてるのか、

わたしはよくわからない。

話してみるとすごく素敵な人たちばかり。

人のことを思いやれる人や、丁寧な人。

話を聞いてくれて、仕事中にこっそりフォローしてくれる人。みんな優しい人ばかりだからだ。

 

素敵な人たち対して、放たれる言葉で

わたしも不愉快な気持ちになってしまうことが

今までにも多々あった。

しかし、ここ最近ではそれがとてつもなく増えてきて、今まで以上にわたしも不愉快だった。

自分が言われてる立場でもないのに、辛く感じた。

 

 

そんなトゲトゲして、ギスギスしている

空間にいるのが辛くなり、もやもやとする日が

何日も続き、職場に行きたくないな。

と、思い始めた。

あの空間がとても居心地が悪すぎて、、

わたしも悪い空間にに染められそうで

不安だった。

 

仕事が嫌いなのではなく、

職場が嫌いなんだと思う。

 

きっと、これが1番の原因だと思う。

わたしは、人に頼ったりするのがすこし苦手だ。

また、長女であるため

他人よりも責任感が少し強いと思う。

そのため、自分で抱え込んでしまい

吐け口を探せず、溜め込み

限界がきて爆発してしまったんだろうなとおもう。

 

これだけが原因というわけではないとは思う。

コロナで職場からも多少だが、

生活に制限をかけられてること。

生活リズムが一定ではないこと。

ホルモンバランス、等

あげ出したらきりがないとおもう。

 

 

今までは、いやなことや、やりたくないことに対して、気合いでどうにか乗り切ってきた。

体調が悪くても、気合いでどうにか持ち堪えたり

自分を叩きながら、やり過ごしていた。

でも、今回気づいたのは

その気合いだけではどうにもならないこと。

気合い論は世の中では通用しないことを学んだ。

もちろん、気合いも必要である。

それを分かった上で、その気合いだけでは

この社会を生き抜いていけるわけではないことに

気づいた。

 

 

今回の、勝手に出てくる涙や体調不良、

気分の沈み、などは

わたしの身体からのSOSだったんだとわかった。

 

 

 

わたしがいなくても、ちゃんと職場はまわる。

社会はまわる。

少し迷惑をかけてしまうかもしれないけど、、。

それでも、どうにかなる。

 

 

わたしが1番大事だ。

わたしの身体が1番大事だ。

心が健康でなきゃ、わたしの仕事は

人を相手にしていることもあって、つとまらない。

 

 

 

無理することない。

休んでもいい。

仕事をやめてもいい。

転職してもいい。

居てくれればいいよ、と

彼は話してくれた。

 

 

今後も仕事は続けていきたいと思っている。

そのために、今後どうしていくのかを

いま、家族や彼と相談しながら探している途中だ。

 

きっと、、人と人が存在する限り

このような問題は永遠にあるのだと思う。

どこから、わりきるのか。

じぶんは何を大切にしたいのか。

それを明確にして、それを大切にして

生きていければいいのかもしれない。

そうすれば、もっと心に余裕ももてるとおもう。

いっぱいいっぱいに、ならないと思う。

 

 

らぶまいせるふ。

じぶんをもっと大事にしたい。

 

 

わたし、いま

このときを綴っておきたくて、のこしておくとする。